<革命者の声>川口真之

教育の革命者 第1回は東中学校の川口校長先生にインタビューさせていただきました。
ビーダッシュが地域でできることとして選んだのは無料のフリースクールの開校。その開校にあたり、ビーダッシュがある地域の中学校である八尾市立東中学校の川口校長先生をご縁からご紹介いただきました。私たちの事業ににご理解いただきご協力いただくことになりました。そして、私たちは「教育者」としての川口先生にとても興味をもち、インタビューをさせていただきました「教育者」として歩まれてきた川口先生の過去から現在、そして未来をお話いただきます。

<プロフィール> 

名前:川口真之

経歴:八尾市・柏原市公立中学校教諭

   柏原市教育委員会

   八尾市・柏原市公立中学校教頭

    2022年~ 八尾市立東中学校校長

Q1.ご自身が中学時代や学生時代で印象に残っているエピソードを教えてください。

【教師にはなりたくない】

中学の時打ち込んでたバレーボール部が突然の廃部になりました。
ある日、顧問の先生が「陸上部の顧問がしたい。バレー部の顧問はいなくなるから今日で解散。」というんです。情熱を注いでいたものがある日突然なくなってしまったんですね。その日から教師に対して不信感が募りました。当時は荒れましたね。家では大人しく学校では授業を壊すことしか考えていなかったとんでもない生徒でした。どこにこの情熱もっていったらいいかわからなかったんでしょうね。

家で大人しくしていたのは父の存在です。父は中学校の教師で怖い存在でもありましたが、同時に尊敬もしていました。元々は教師になるということを考えていましたが、この件で教師にはなりたくないと思うようになりました。今振り返ると、もしかしたらいまだにあの中学時代の先生の事を恨んでるかもしれないけど、この先生に出会えたことで生徒の気持ちを大切に出来る教師にならないといけないと思えたことも事実ですね。

【やっぱりバレーがしたい】

高校の時、やっぱりバレーボールがしたいと思い素人同然でバレー部に所属しました。公立では強豪であった部活だったので、毎日死ぬ思いで必死でしたね。辞めたいと何度も思いましたが、バレーがしたくて入ったのに辞めてしまったら中学の時にずっと感じていたバレーをしたくても出来なかった悔しい日々を思い出し、そういう気持ちだけで頑張れてたのかなと思います。

結果的にエースアタッカーになり大学もバレーで決まりました。
監督があまりにも厳しいので、こんな事を言っては教育者として失格かもしれないですが、当時は大嫌いな監督でした(笑)。でも、大学進学の時に一番親身になって考えてくれたのもその監督でした。もう二度と会いたくないと思うと同時に何かあったらこの監督に相談したい、今でもそう思っています。
(この厳しい監督はのちに全国制覇を成し遂げられます)

Q2.教員をされる前は一般企業にお勤めされていたとお聞きしました。どのような想い・経緯で教員になられたのか教えてください。

大学4回生の時に部活で大怪我をしてしまい、教員試験を受けることができませんでした。それで一般企業に就職をしました。人の為になることをしたいという想いは企業も教師も同じだと思いますが、一般企業ではその想いは売上、つまりお金に変換されてしまいます。それに違和感を感じて「自分がやってることはお金のためか」と思ってしまって、今思えば浅はかだったと思いますが自分自身を許せなくなってしまったんですね。親が教師だったから元々教師になるという思いが植え付けられていたのかもしれないですが、困ってる人を助ける!教師はそうあるべきだと思っていました。
そう思って、一度は機会を失った教師を再度目指しました。今は一般企業に一度就職した経験も活かされていると思っています。

Q3.これまでの教師生活で印象に残った不登校生のお話をお聞かせいただけますでしょうか?

【不登校対策に力を入れる原点】

入学時は優秀だったのですが、ある時から学校に来ない状況になっている生徒がいました。気づいたら非行グループに入っていたようで、たまに学校へきたら校則を無視した服装や態度で登校するようになってました。見かけると「そんな格好で教室入るな!」と別室でプリント等をさせていましたが、プリントもせず寝てる事もあり「学校に何しにきてんねん、帰れー!」「帰るわ!」といったやり取りが何回もあり、その後どんどん悪化し、ほとんど学校に来ることがなくなったんですね。

そんな生徒が卒業後、頻繁に会いにくるようになりました。少し不思議に思って「何で会いたくないはずの俺の所に来るの?正直に教えてほしいと」聞いてみました。
そしたら「あの時は先生の事嫌いやったけど、先生だけが本気で私を怒ってくれたって感じてたから今になったらありがたいっていう気持ちもあって・・・でも正直言うと今でも先生が来たら怖い(笑)」というんです。
私は「お前みたいな子を増やしたくないから、あの時何かあったんやったら教えてほしい」と伝えたら当時の事を話してくれたんですね。

実は、1年生の後半でいじめられてたと告白してくれました。でも、それを訴えたところで先生らはきっと私よりも相手の子を信用すると思う。それくらい相手の子は外から見ても良い子だったから、自分が言えば言うほど私が悪者になるだろうと感じたそうです。だから言えなかった。
私は「気付かなくてごめんな。気付かなかった先生が悪いよね」と謝ったんですね。そしたら「女のあんな世界は男の先生にはわかるはずがないし、何で分かってくれへんのって思ってもない。それは仕方がないことやと思う」と言われて、救われたようだけどそう言われるほど、それは仕方がないと言わせてしまっている学校って何なん?って無力さを感じてしまったんですね。でもそれが、これからの子供に活きたら罪滅ぼしになるかもしれないと気づかされました。

他にも色々あるんですが不登校対策に力をいれるのは、これが原点だったかもしれません。
教師だから何でもわかってるみたいな顔して生徒に偉そうに指導してたんですが、生徒のことを何もわかってなかったと気付いた時にもっとちゃんと生徒の気持ちを聞かないといけないと思いました。

ちゃんと聞く為にはどうしたらいいのか考えた時、今はなかなか難しいんですね。個人情報という壁があったり、暴言や体罰等の事も含めて考えたら1人1人の生徒とじっくり向き合うことがやりにくい時代になりました。今の教師は大変だと思います。もしかしたら向き合うまでにその子に陥れられる可能性もないこともないんです。そう思ったときに、いったい何ができるのかと考えたら無力感しかない。何ができるのか学校で解決できないんだったら、安心できる場くらいは作れるんじゃないのかという想いが今やろうしてる事に繋がっています。

【不登校生徒を持つお母さんに寄り添う】
~中学校不登校の姉と行き渋りのある小学生の妹の2人姉妹の話。~

子どもたちのために環境を変えようと、関東地方からお母さんの地元である大阪へ引っ越してこられました。だけど、お姉ちゃんはやっぱり学校には行くことができなかったそうです。
私はそんな状況をみて、引っ越しまでして環境を変えたのに学校にいけない不登校の子供とずーっと一緒に家にいるお母さんも同じようにしんどいと思うから、お母さんと話をしたいと担任の先生にお母さんを呼んでもらったんですね。
そこで、子供が学校に行かないからって学校はお母さんを責める立場ではないから安心してくださいね。行かないなら仕方がないと思いましょうと。何で行かれへんって一番悩んでるのは本人やから、何でいかへんの?とか学校いかなあかんやん!っていう言葉はちょっと封印してくださいね。もし学校行かへんことで腹が立ったら「お母さんが学校行ってくるわ!」っていうてお母さんが学校に来てくださいと話をしました。

なぜかというと、ずっと一緒に居たらお母さんが病みます。気分転換に学校へ来て僕と話してガス抜いて欲しいという話をしたらお母さんが涙を流して「ありがとうございます」と言ってくださいました。そして、実際お母さんは時々学校にくるようになりました。お茶を飲みに。そしてそのあと、お姉ちゃんも学校にくるようになったというお話です。

お母さんの表情が暗かったらその子供ではなく、お母さんの話をしっかり聞いてあげるようにしてお母さんの気持ちが楽になる方法を考えていくほうが子供にとってもプラスになると思ってます。

【不登校でも夢は持てる】

中学時代不登校だった生徒の話ですが、その子は高校に進学しました。正直「高校行けるのか?」と思っていたのですが、高校ではほとんど欠席せず学年2位の成績で卒業し消防士になるために大学へ進学しました。その話を聞いた時に、不登校だったとしても夢をもつことで大学に行けるんや!って希望を持てました。

Q4.川口校長が考える不登校対策や教育についてお聞かせください。

不登校対策の第1歩は家から出る第1歩です。自分が望んでもない学校に、住所があるというだけで通わなければならないのは、不登校の子どもにとって結構大きなプレッシャーになると思います。
フリースクールという名称にも違和感を感じています。学校にいけないのにスクールって(笑) 誰でもいける居場所。フリースペースのほうがしっくりきませんか?
例えば、家から一歩出た先が”学校”なのか”ビーダッシュ”なのか”教育センター”なのかという選択肢の中から選べるようにすることを不登校対策にしていかなければいけないと考えています。

【生徒の将来を考える】

人と関わることに抵抗がある子供達に、「いまやっとかな将来困るでー!」「これからずっと困るでー!」っていう人が居るけど、本当にこの子の将来を心配してるのかと思う。困るのは困るけど、今出来ていないだけで今すぐ直す必要はなくて、10年後同じになってたらいいでしょって。
学校の3年間に成果を出さないといけないという発想ではなく、この子が成人したときにどうなってるかということを見据えた考え方に移行していかないといけないと感じています。

【いじめが起こりにくい環境づくり】【助けてを言える環境をつくる】

日々の学校生活での関わり方で、いじめが起こりにくい・助けてって言える環境にできると思ってます。

例えば、友達に暴力をふるった生徒がいたら一緒に居る周りの友達に「この暴力ふるった生徒が加害者になってしまってるやん!お前らがもっと早くこの子の気持ちを治めてあげてたらこんな事にはならんかったよな。いつも一緒に居てるのに何で気付かへんねん。」って怒ると加害者の生徒はめっちゃ悪い事した気持ちになる。自分だけではなく周りの自分の友達も怒られてることにその子は「ハッと」気づきます。

加害者の生徒には「何でいつも一緒にいてる友達を信用して助けてって言われへんねん。友達を信用して助けてって言えとったらこんな事にならんかったし、友達も怒られんですんだやろ」というやりとりを日々重ねていく。そうすることで「助けって」言わんかったら後で先生に怒られるという逃げ道ができます。ちょっと観点を変えてあげるだけで、「助けて」「大丈夫?」が言える環境にしていけます。子供は素直なのですぐに行動できるんですね。そう考えると大人のほうが複雑かもしれませんね(笑)

【学校が最新の情報を持っているわけではない】

教えてもらうのは学校の先生じゃなくてもいい。色んな経験をしてきた人が居る場所で色んな人と関わっていく中で、その子の気持ちがわかる人と出会うかもしれないし色んな経験ができるほうがいい。

覚えた事をテストして優劣つけるということがもうナンセンスなんじゃないのかなって思っています。これも大切な事だけど、興味のない子に押し付けても何の役にも立ちません。基本的な事は知ってたらいいけど、それを学校で絶対学ばないといけないかって言ったら今はもうそうじゃないよねって。分からん事があったら学校の先生に聞きなさいっていう時代ではないですし、今の時代調べたら何でもリアルタイムにわかってしまいますよね。

でも最低限覚えておかないといけない事はあると思います。命に関わる事は絶対やっておかないといけません。
例えば、毎年水難事故って多いですよね。そうなると海に近づくな、川に近づくなって、そうではなくて体育の水泳の授業で最低100m泳げるようにして水の事故を減らすなどの根本的な解決を教育現場がしていくべきだと思っています。
そうなると学校でする教育課程をもっと減らして、子供達にもっと自由に学べる時間を作るようにしたほうがいいと思っています。1日6時間授業受けなくても十分生きていけるという事を教育界や国がもっと示していかないといけないと思っています。

【魂を植え付ける】

バレーボール部の顧問として指導していた時の教え子達が、大学生になって同じメンバーでバレーをしているので試合を見に来てほしいと連絡をしてきたので見に行きました。
めちゃくちゃ弱いのに(笑)声を出し合い、励ましあい、そんな試合を最後まで見て、バレーの内容よりも大学生になってもこんなに真剣にバレーをしてくれてることが何よりも嬉しかったし、指導した生徒が大学生になっても、パパさん、ママさんになってもバレーをしたいと思ってくれる子を育てるのが僕らの成功であり、そういう指導者・教員にならないといけないと改めて思わせてくれました。

僕らが植え付けるのは生き方・生きていく上での魂で「あの時言うてくれた先生の言葉が~」っていう言葉を聞くために頑張ってる。自分の心から出た言葉は伝わる。そう思っています。

Q5.先生が考えられる、地域の企業の連携についてお聞かせください。

【企業との連携】

企業との連携で一番のメリットは費用の面だと感じています。不登校対策を目標にっていうけど、今の公教育にお金はありません、人はいないって言われて、新しく人員を配置することもできない。そうなると学校での不登校対策ってもう限界にきていると思います。企業と連携することで、今学校に行きにくい子供達が学校に行く前段階としての居場所を作ってあげることができます。そうすれば学校側としても「焦らんでいいねんで、この居場所で学校に行ってる子と同じように努力すれば取り返せるねん。それで、学校に行けるときに合流したらいいねん。それが高校なのか大学なのかはわからないけど、その時に惨めな思いをしなくていいように力を身に着けておこうな」って言える場所として企業と連携していくことができると考えています。

学校という1択しかない、学校という箱の中に無理やり入れられて心潰れて人生台無しにするくらいなら学校以外の安心できる居場所でいいんじゃないかと思います。行政でできないのであれば、居場所作りに興味を持ってくれている地域の企業や私立の学校と連携してやっていく段階にきてると思ってるし、行動していかないといけないと思う。行政でお金が出せないということであれば、本当にお金の使い方を知っている人に頼って連携していったほうがいいのかなって思います。そういう意味で企業との連携。企業・私立の学校・行政・受益者負担(保護者)で何とか賄えるんじゃないかなって思ってます。

不登校だけじゃなく他の生徒と共に学校生活を送る、協力しあって助け合って過ごしていく中で不登校の子が乗り越えられないことでもエネルギーを持った子の力を借りながら一緒に乗り越えていける環境を作っていけるのが一番いいと思ってます。人は1人で生きてるんじゃない、みんなで支えあって生きてるという事も学べる。
そんな学校を作りたいと思っています。

~あとがき~

<撮影/文 山田 紘也>

2時間にわたるロングインタビュー。心を揺さぶられる数々のエピソード。私は、今回のインタビューを通してあらためて「教育」という概念について考えさせられました。川口先生はそのキャリアの中で、さまざまなご経験をされています。それはどれも「教育」という概念、マニュアルや資格には決して反映されない、心と心を通したコミュニケーションの連続から成立しています。

学校にいけない子どもたちの居場所なのに「フリースクール」って「スクール」がついてどうするねん!というお話には私はハッとさせられたと同時に共感していました。フリースペースという名称は川口校長からいただくことにしました。

今回のお話ではカットさせていただいたエピソードのひとつとして、教え子が陣痛でまさに出産の時に電話をしてきたそうです。。「今出産中だけど、辛い。でもあの時の辛さに比べたら乗り越えられる、先生の声聞いたら頑張れる」と思ったら川口先生に思わず電話をしていたそうです。先生は「何で俺やねん」と笑ってらっしゃいましたが、凄いですよね。

第1回にふさわしいインタビューを受けていただいた川口先生にあらためて感謝を申し上げます。

<インタビュアー/文 渋谷 美栄子>

川口校長はさまざまなご経験をされてきた中で、色々な出来事を学びとして捉えられ現在に繋がっているとおっしゃっていました。色んな経験をしても、それを不幸と取るか学びととるかでその後の人生が変わると改めて気付かせて頂きました。

川口先生自身にもお子さんがおられ、教員として生徒と関わる中で様々な出来事が起きてきた時に「これが自分の子供だったら」と、教員として子供の親として生徒の将来を考えて対応されてきました。生徒たちの事をここまで考えてくださる先生がおられるということに1人の保護者として嬉しく思うと同時に、自分自身も子供の5年先、10年先を見据えた対応をしっかりしないといけないと身が引き締まりました。

お忙しい中、長時間のインタビューを受けて頂いた川口校長に心から感謝申し上げます。

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